てったい北関東

覚書、感想、備忘録

TENET テネット 思ったこと

テネットを観てきたけど、
ちょっと理解できなかったので思ったことを書いて整理してみる。

まず作品中では
・時間を逆行する武器(または物)
・時間を逆行する人
の2種類が登場する。
この扱いがごっちゃのため、ちょっとわかりづらい。

わかりやすいのは
・時間を逆行する人
のほう。これは「回転扉」というアイテムを使って、
時間を逆行することができる。
回転扉を通ることによって、自分の進む時間の向きを逆転させることができる。

逆行した時間の中でも人間は主体的に行動できる、
というのが本作の面白みの一つで、
行動→結果
が順行の流れなのだけど、逆行的には
結果→行動
という逆転があるはずで…といううんたらかんたらは映像的に語られるわけだが。
どちらにしても、未来ありきじゃなくて、現在の人間の「こうしたい」という意思があるわけだね。
順行する側から見ると逆走しているように見えたり、映像的にも面白い。

一方で
・時間を逆行する武器
というのがよくわからなくて、
作中では人の意思によって順にも逆にも動くような挙動を見せていた。
時間を逆行する人間が武器を使う、というのは
逆行する側から見れば「弾が返ってくる」感覚なのだろうけど、
順行する側から見れば「弾を撃たれる」という通常の感覚なはず。
でも「時間を逆行する武器」というのは順行する側も逆行する側も使えるはずなので、
もう武器がどうなろうがそれは人間がどっち進んでるかによらないのではないかな。
(そこの人間の意思というのは、誰の意思によって決まるのだろうか。
 例えばビルをぶっ壊したとして、それを無かったことにしたり、もう一度壊したり、
 誰でも出来てしまうのでは・・・?未来が定まらない?)
ここらへんがごっちゃごちゃになって最後の作戦とかも意味がわからなかったんだけど。

あと山崎貴監督がパンフレットで、
ニールはセイタ―とキャットの息子なんじゃないかって妄想していて、
実際いくつかの解説サイトでもそう解説しているところもあるようなんだけど
(ちゃんと見てないけど)
時間を逆行する術が「回転扉」しかないのだとすれば、という前提だけど、
回転扉のギミックって好きな時代に移動できるものではなくて
あくまでその人の時間の進む向きを変えることしかできない(はず)。
年取ったニールが回転扉を使って過去に行って少しずつ若返って…
て考えるとあの時代にニールの年齢であればやっぱりあの時代にはニールの年齢なはず。
だと思うんですよね。
時をかける少女ハウルの動く城で「未来で待ってて」っていうのと、おんなじ。

という、ただでさえ読解力がないのだけど、
なんでよくわからなかったのか、を整理したうえで2回目観てみたいですね。

「青くて痛くて脆い」感想

田端くんは、自分が傷つくのが嫌な人間である。
他人と接すれば自分も相手も傷つく。なら適度に距離を保ち、生きていこう。
そういう人間である。

自分はまったく、田端くんサイドの人間である。
自己実現とか、高い理想とか、友達と慣れあったり、異性といちゃついたり、
そんなチャラさを「痛い」と表現して一線を引いて生きている。
(一線を引くどころか、友達も彼女もいないという、絶望的な状況になってしまったけれど)
でもこの映画はその「痛い」ことを、限りなく肯定する。
自分の理想を掲げ、そこに到達するために行動する人々。
そう、人間関係とはたえず痛みを伴うものなのだ。
自分の理想を掲げることは恥ずかしいし、
人とつるめば自分を否定されるかもしれないし、
女の子に告白すれば拒否されるかもしれない。
そういうかっこ悪さははたから見れば痛いけれど、でもそういう痛みを経なければ人間関係なんて作れない。

自分がそういう人間だからよくわかる。
どうして自分に友達がいないのか?彼女がいないのか?仕事ができないのか?
すべては自分が傷つきたくないから。かっこ悪くなりたくないから。痛くなりたくないから。
そんな人間関係の構築を恐れている。億劫になっている。
そんな、役立たずな人間。

この映画の終盤で田端くんは、自分のなりたい自分とはなんだったのかと考える。
そして、ifの世界を想像する。これがとてもよかった。
ifの世界は、決してハッピーな世界ではない。
田端くんは秋好さんと結ばれるわけではない。
けど、田端くんにはちゃんと居場所があって、友達がいて、
そしてちゃんと秋好さんが好きでいられる。あこがれていられる。
そう、まざまざと見せつけるifの世界は残酷で、素敵だった。
たった一言。たった一つの行動で、そんな世界もあり得た。
自分が傷つくことを許容しさえすれば、そんな世界もあり得た。

一体どうやって生きれば良いのか?
まっすぐなメッセージを届ける本作のことがぼくは好きだ。
生きるためにちゃんと傷つこう。痛みとともに生きよう。
ちょっと勇気を出して行動を変えてみれば、きっと違う未来があるはずだ。

ってことでさ、ぼくも彼女とかほしいんだけど、どうかな?

filmarks.com

「思い、思われ、ふり、ふられ」感想

浜辺美波の甘酸っぱい恋愛映画、キュンキュンするのを期待していたのに。

魅力的な異性が家族、こんな環境をこの映画では決して甘酸っぱくなんか描かない。
告白したくてもできない、家の中でもふるまい方を考えなければいけない。
一体彼らがどうしてこんな状況に陥った?
それは、彼らの親が悪いのだ。

どうしたって子供は親の影響を受けなくてはいけない。
親のお金で生活をしなくてはいけないし、
働いて自立するにも年齢が足りない。
それが子供だ。逃げ場のない彼ら。
それでもこの映画はそこで終わらない。

でも、本当にそれだけなのか?
それを理由に、彼らはできることをやっていないのではないか?

親の結婚に、反対することはできたのではないか?
何も言わず、言おうとしたことをなかったことにし、
何かに理由をつけてしょうがないと自分をごまかし、
そうやって今の環境に逃げていたのではないか?

思い、思われ、ふり、ふられ
登場人物たちは、彼ら同士で、思い、思われ、ふり、ふられ
相手を思い、自分を変えていく。
未来を見据える。ここではないどこかを。
そんな彼らがとても素敵だった。

少年少女たち、逃げ場はないかもしれない。
けれどそれを理由にやるべきことを探すのをやめてはいけない。
自分のやりたいこと、伝えたいことに目を背けてはいけない。
それは決して楽な道ではない。おとぎ話ではない。
それでもそれは、自分を生きる唯一の方法なのである。
力強いメッセージだと思った。

filmarks.com

9-11,9-11,9-11のストレート負けはやっぱり惜しいのではないか

note.com
を読んで、そうなのかな、と思って書いてみました。
自分としては、9-11ストレート負けはやっぱり惜しいんじゃないかという印象があります。
ただ計算に自信ないので間違っていたらご指摘ください。

相手の得点率をpとおけば、こちらのの得点率は1-p
1ゲームを11-9で負けるには、相手が10点、こちらが9点取って、最後に相手が取る、
という場合の確率を考えればよい。
その際、10点と9点の取り方はどんな順番でも構わないわけなので、
組合せの確率を考えれば求めることができる。
11-9で負ける確率={}_{19} C_{10} p^{10} (1-p)^9 \times p
ましてこれを3ゲーム取られるわけなので
9,9,9でストレート負けの確率=({}_{19} C_{10} p^{10} (1-p)^9 \times p)^3
(あってますか…)

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計算
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グラフ

9-11で1ゲーム取られるとき、
やはり最も大きな確率となるのはこちらの得点率が45%のときです。
ただ、あくまで1ゲームの場合です。
しかも、その場合においても10%程度でしかなく、
こちらのほうが得点率が高い場合だってあり得る結果です。

そしてストレート負けの確率を見ると…
pが何であっても、0.1%にすら満たないようです。
確率的には、ちょーレアな得点結果であることがわかります。

つまり何が言いたいかというと、
1度試合をやって9-11ストレート負けをしたからといって、
「「惜しくない」とは言えない」とも言い切れないのではないか。ということです。
たったそれだけの試合だけで、
こちらの得点率は45%(相手が格上)などと決められるものではないのではないでしょうか。

といっても現実の卓球の世界では
単純に「得点率」などというものが決められるものでもないと思いますが。

ブルーアワーにぶっ飛ばす

何もない田舎、友達の不在、分かり合えない家族、老い、流れていた時間。
そういう見たくのないもの、見ないようにしてきたもの、
ふと立ち止まって、「見る」。
ただそれだけだ。

主人公を表すフレーズ「止まったら死ぬ」。
ダサい自分を押し殺して、動き続けるためのもう一人の自分を作り上げる。
私のことを好きな人は好きじゃない。
だっせえ。
田舎に帰って、そんな自分を再確認する。
ただそれだけなのだ。
主人公は田舎を捨て、また都会に帰っていく。

僕は就職に伴って田舎に帰ってきたけど、
あの地元に対する気持ち悪さがすごくわかるのだ。
だからこそあそこで田舎を捨て、都会に帰れる主人公がとても格好いいし、
見終わった後のすがすがしさと、どうしようもない自分の生き方とが混じりあって
なんとも気持ちの悪かったのである。
だっせえ。

気持ちの悪い自分。逃げ出せない自分の弱さ。恨みつらみ。ださいださい。

そしてですね、夏帆がめっちゃかわいい。

シネマテークたかさきの料金比較

シネマテークたかさき、今シーズンははじめて会員になったのだけど、
10回も見るか不安だったのでB会員になりました。
会員になると特典は
・料金が割引される
・毎月映画情報とフライヤが送られてくる
・会員手帳がもらえる
・お誕生日カードがもらえてポスターと引き換えできる
などがあります。
ポスターとの引き換えはタイミングを失してできませんでしたが・・・。

会員になって一番よかったのが、会員手帳。
映画を見るたびにこれにチケットの半券を貼っていってくれるんだけど、
記念にもなるし、なんだか見返すのが楽しいのね。
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自分も結局10本は見てしまって、先日11本目を見てきました。

でもそうなってくると、どのくらいA会員と差が生じてくるのか疑問を持ちます。
ちなみに来年度は料金が改訂になるようなので、
来年度の料金を比較してみました。

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シネマテークたかさき料金
(適当にやったので間違ってたらごめんなさいね)

20回鑑賞までの料金の合計を比較してみましたが、
9本鑑賞時点ですでにB会員よりA会員のほうが安くなっていることがわかります。
ちなみに非会員ですと常に一般料金で支払うと7本目で逆転します。
A会員最初に12,000円も払うのでちょっと勇気がいりますが、
本数みる自信のある人は断然お得のようです。

ちなみに面白いのが高校生以下の方は
非会員より会員と最初から変わらない・むしろ安くなるよう調整されているんですね。
逆にシニア会員は値上げも影響して20本みないと非会員のほうが安いという・・・。

なかなか群馬県だと観たいと思う映画がやってない、
ってことは結構ざらにあることで
そんな中でシネマテークたかさきは貴重な存在です。
自分は東毛の人間なのでアクセスには不便なのですが
駐車場も3時間無料券で止められますし・・・

いやあ、都会ですなあ・・・
太田にもこういう映画館できたらなあ。

トイレにおける上座・下座を考慮した待ち行列

トイレの上座・下座は入り口からの距離によって決まる。
ここでトイレt_iの入り口からの距離をd_iとしたとき、
t_it_jよりも上座であるとは
d_i < d_j
が成り立つことをいう。
以下、トイレの距離を上座度と定義する。

プレイヤは、すべてのプレイヤの役職を意味する序列をわかるものとする。
あるプレイヤpの序列をr_pとする。
ここで、t_jにプレイヤqが用を足していることを考えた場合に、
r_p \le r_qであれば、d_i \le d_jとなるようにトイレを決定する必要がある。
空きトイレがなければ待ち時間が発生するためペナルティを受ける。
待ち行列r_q \le r_rとなるプレイヤrがいる場合は優先してトイレを使用することができるが、
前方にいるプレイヤの数だけペナルティを受ける。
(トイレの入り口は往々にして狭いため、行列をかき分ける時間的ロスが存在する。)
一方で
r_p \le r_qの場合は、任意のトイレを使用することが可能である。
ただし、ここでd_i \le d_jとなるようにトイレを決定した場合は、
プレイヤjは上座・下座を考慮しなかったことになるためペナルティを受けることとなる。
各ペナルティは想定するトイレ問題を考慮し決定する必要がある。

各プレイヤは自身のペナルティを最小化するように行動する。