「青くて痛くて脆い」感想
田端くんは、自分が傷つくのが嫌な人間である。
他人と接すれば自分も相手も傷つく。なら適度に距離を保ち、生きていこう。
そういう人間である。
自分はまったく、田端くんサイドの人間である。
自己実現とか、高い理想とか、友達と慣れあったり、異性といちゃついたり、
そんなチャラさを「痛い」と表現して一線を引いて生きている。
(一線を引くどころか、友達も彼女もいないという、絶望的な状況になってしまったけれど)
でもこの映画はその「痛い」ことを、限りなく肯定する。
自分の理想を掲げ、そこに到達するために行動する人々。
そう、人間関係とはたえず痛みを伴うものなのだ。
自分の理想を掲げることは恥ずかしいし、
人とつるめば自分を否定されるかもしれないし、
女の子に告白すれば拒否されるかもしれない。
そういうかっこ悪さははたから見れば痛いけれど、でもそういう痛みを経なければ人間関係なんて作れない。
自分がそういう人間だからよくわかる。
どうして自分に友達がいないのか?彼女がいないのか?仕事ができないのか?
すべては自分が傷つきたくないから。かっこ悪くなりたくないから。痛くなりたくないから。
そんな人間関係の構築を恐れている。億劫になっている。
そんな、役立たずな人間。
この映画の終盤で田端くんは、自分のなりたい自分とはなんだったのかと考える。
そして、ifの世界を想像する。これがとてもよかった。
ifの世界は、決してハッピーな世界ではない。
田端くんは秋好さんと結ばれるわけではない。
けど、田端くんにはちゃんと居場所があって、友達がいて、
そしてちゃんと秋好さんが好きでいられる。あこがれていられる。
そう、まざまざと見せつけるifの世界は残酷で、素敵だった。
たった一言。たった一つの行動で、そんな世界もあり得た。
自分が傷つくことを許容しさえすれば、そんな世界もあり得た。
一体どうやって生きれば良いのか?
まっすぐなメッセージを届ける本作のことがぼくは好きだ。
生きるためにちゃんと傷つこう。痛みとともに生きよう。
ちょっと勇気を出して行動を変えてみれば、きっと違う未来があるはずだ。
ってことでさ、ぼくも彼女とかほしいんだけど、どうかな?